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25 ottobre 2004

震災

center04.JPG 久し振りに三宮に出た。「2046」という映画を見る為に。映画を見た後、三宮センター街に出て見た。いつもと変わらぬ人混み。賑やかな街並み。あの日、屋根がなくなり、人は消え、店は潰れた。1995年1月17日。神戸は未曾有の大災害に見舞われた。一昨日の夕方、新潟で大きな地震が起きた。夜勤に入っていた私は夕食時の休憩時間にそれを知った。しかし、まさかこれ程の大災害であったとは。どうせ、また、良くある地震と思っていたのだが、テレビは延々、特番を組んで報道している。映像を見ても、これはちょっといつもと違う。避難している方達の様子を見ていると、本当に10年前の神戸を思い出した。折しも、10年を迎えるに当たって、神戸は今記念行事を企画している最中である。10年前のあの日、まだ、寝ていた私は大きな揺れと物音に目が覚めた。何が何だか解らないが、とにかく恐かった。揺れが一段落して部屋を見渡すとテレビは落ち、食器棚は倒れ家の中は無茶苦茶になっていた。それでも幸いなことに我が家がある神戸の西北部はライフラインは何一つ止まらなかった。テレビには見慣れた神戸の街が無惨な姿に変わっていた。生田神社の屋根は落ち、阪神高速は倒れ、長田の街のあちこちからは煙が立ち上っていた。夜になっても余震は収まらず、ごうぉ〜っという地鳴りがすると余震はやって来る。地鳴りがする度に恐くて身構えた。元々、関西人は地震に慣れておらず地震に弱い。それが突然襲った震度7の大地震。暫くすると公園という公園は仮設住宅で埋まった。私が勤める施設があったしあわせの村の芝生広場は自衛隊の滞在地となって一面テントで埋まった。交通は遮断され、大阪が海外の様に遠くになった。これだけ被害が大きくなったのは人類が築いた文明故かと感じた。神戸が北淡より被害が大きかったのは、都会であった故であろう。淡路には高速道路もない(当時)。電車も走っていない。ビルも少ない。人口も…。バスは道が舗装されれば走り出せるが、電車はそうは行かない。高速道路も元通りになるには時間がかかる。もっと言えば、シベリアの大地やモンゴルの大草原で同じ地震に見舞われてもこれだけの大災害にはならないのではないだろうかと思う。新潟の被災者の方達の避難所を見て、当時の神戸を思い出した。あの時も、南の方の方達は避難所に集まり、また、外で火をたいて暖をとっていた。冬であったことはある意味幸いだったとも言われた。夏であれば、空調もなく、また、汚物の処理もままならないトイレなど衛生面からも2次災害が起きていた恐れがあると…。神戸の街はいつになったら元に戻るのだろう。この仮設もいつかなくなるのだろうか…そんな不安も、今は嘘の様に神戸は元に近づいている。数年前には地元にあった仮設住宅も完全撤去された。時間はかかるだろうが新潟の被災者の方達にも頑張って欲しい、今日、三宮センター街を歩きながら、そんなことを考えていた。
 ちなみに「2046」はいまいち意味の解らない映画であった。アジア映画は何か自分には合わない。

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