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gennaio 2005

30 gennaio 2005

念願のピエロに出会えた日

monterchi05_1 いよいよ、この旅のメインイベント。今日は、何が何でもモンテルキ&サンセポルクロへ行かねばならぬ。今回たった1週間しかないのにイタリアまでやって来たのは、この為なんだもの。いかし、アレッツォからのバスは極端に少ない。一体、行って帰って来ることは出来るのか?iの兄ちゃんも解らないというくらい少ない。タダでさえ少ないのに今日は土曜日ということで一層少なくなる。
 しかし、ここまで来て宿題に残すのは嫌だ。結局、8時45分発のアンギアーリ経由のバスで行くことにした。何とかなるだろう。平日はこれがモンテルキ経由らしいのだ。運転手に尋ねると、やっぱり le Villeから足はないという。タクシーもないらしい。歩いても10分だよとのこと。10分?モルト ヴィチーノやんけ?じゃ、歩こうと思ったら、運ちゃん「歩いて10分だよ。…3㎞くらいだし」。「えっ?3㎞?3㎞10分で歩けるか?」不安に思ったが、足がないなら歩くしかない。まあ、何とかなるだろう。そういう国だ。イタリアは。「着いたら教えてね」「le villeで良いの」「そう」バスは出発した。
05ville アレッツォを出て暫く行くとバスはどんどん山道を登って行く。そして、雪がどんどん深くなって行く。一面雪景色だ。le villeには9時25分に着いた。道沿いの何の変哲もない小さな村であった。確かにタクシーはなさそうなので、歩くことにした。100mも行くと道が二手に分かれる。左(真っ直ぐ)へ行くとアンギアーリ、右に曲がるとモンテルキになる。モンテルキまで3㎞。本当に10分で行けるのだろうか。雪が積もっており、歩くのが大変。車も結構走っているのでヒッチハイクでもしたい気分だ。
 なかなか人影も見ないが30分歩いたところでたまたまゴミ捨てに来たおっちゃんに尋ねたら、目的の美術館はここから1.5㎞先だという。まだ、半分しか来てないの〜?文化財の案内を示す茶色の看板を見つける度に期待するが、違うものだった。
 そこから20分歩いて、やっと、「museo Madona del parto」の茶色い看板を見つける。イタリア名物の立ち話をする暇な親父に尋ねると「心配要らないよ。俺が案内してやるよ」と言って一緒に歩き始めた。小さな村は知り合いだらけの様で、人に会う度に「このジャッポネーゼを案内してるんだ」と何故か自慢げ。しまいには「俺のマンマ」まで出て来る始末。「マンマはそこに住んでるんだ。俺はこの上の奥に住んでる。そこは奥さんの実家。もう亡くなったけどね」。この辺りはメディチ家と関係深い様で何やかんやと話してくれたが、さっぱり解らず、申し訳なかった。一応、解った振りして頷いておいたけど。「標識はこっちだけど、今日は雪で道が悪い。こっちから行った方が良い」と案内してくれた先に、見えて来ました。マドンナ デル パルト美術館。「そこだよ。俺の家はこっちなんだ。じゃあね。チャオ」と親父は消えて行った。
 le villeから1時間歩き続けて漸く辿り着いた念願の美術館。ああ、あの絵に会えるのかな。気になり続けていた「出産の聖母」。はやる心を押さえつつ受付で切符を買う。そして、「タクシーはないか?」と尋ねると受付の親父はタクシーを呼んでくれた。
piero01 入り口入ってすぐ右の部屋にその絵はあった。中に入ると電気がついた。この時の感激をどう表せば良いだろう。長年の夢だった。モンテルキが一体どこにあるのかも解らなかった。ついに積年の夢叶いこの絵に対面出来たのだ。ここにはこの絵が1枚あるだけ。その絵を見る為に遙々やって来たのだ。いつまでもここにこうしていたいが、20分後にはタクシーがやって来る。切符売り場の親父と話をしているうちにタクシーはやって来た。タクシーの運ちゃんは女性であった。この街にはタクシーは2台しかないらしい。自分と夫の2人だけと言っていた。美術館まで案内してくれた親父、受付の親父、タクシーの運ちゃん、田舎町の人達は本当に親切だ。ピエロの絵だけでなく、この人達のお陰で、モンテルキという村がとても好きになった。タクシーのお陰で、le villeを11時27分発のサンセポルクロ行きに乗ることが出来、昼前に到着した。市立美術館にもピエロ・デッラ・フランチェスカの貴重な絵がある。
 美術館を出た後、街の写真でも撮ろうと思ったが、またまた吹雪始め、とても呑気に写真を撮る気になれず。食事入ったレストランで13時45分の後は16時台までバスがないことに気付き、大慌てでバス停まで戻って来た。
 念願だったピエロ・デッラ・フランチェスカの絵と対面出来、今回の旅の目的は大方果たせた気がした。そして、夢の後はフィレンツェでブランド巡りという現実に戻るのであった。

※ ちなみに今日(1月29日)は母の命日。母が亡くなった日、私はヴェネツィアにいたのでした。

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28 gennaio 2005

やっぱりイタリア

05grande01 やっぱりイタリアだ。ミラノからアレッツォへ行く列車、8時にしようか、9時にしようか迷った挙げ句、8時は早過ぎると思って9時にしたのだ。結果的には8時にも乗れる時間に起きたが、もう切符は買ってしまっているから仕方がない。乗る前にオラリオも欲しいから、ちょっと早めにホテルを出た。8時半にはホームに上がっていたのだが、私が乗る予定のローマテルミニ行き列車はどっから出るかの表示が出ていない。嫌な予感は的中。最近はFSはそう遅れないと聞いたので油断していた。案の定20分遅れ。そして、30分遅れになる。ritardi、ritardiと何本もの列車が当たり前の様に表示されている。やっぱり8時のにすべきだった。9時発だけはミラノが始発ではなかったのだ。トリノから来る。
 トリノからの列車は、結局30分遅れで到着し、出発したのは45分遅れ。更に遅れを取り戻そうとすることもなく、ボローニャには50分遅れ。フィレンツェにも50分遅れの到着となった。当然のことながら乗り換えるべき列車は既に出てしまっている。次のを待っていたら、アレッツォに着くのは14時になってしまう。丁度、隣に入って来たトリエステからナポリへ行くICに乗れば1時15分には着くことになっている。お金を足せば乗れるのか聞いてみたら11ユーロだと言うので乗ることにした。この列車も時間通りにフィレンツェに着いているのに、2分遅れで出発し、アレッツォ到着は10分遅れになっていた。
050128ris イタリアの列車は定刻に走らそうという気はないのだろうか。当たり前の様に遅れている。まあ、日本ほど時間に正確な国はないかも知れないが…。
 今日は本当に寒かった。表示では1度だが体感温度は氷点下の気がする。ボローニャの辺りから雪が溶けていなかったが、アレッツォに着いてもやはり溶けておらず。午後にはまたしても降り始めた。本当に寒い。そんな中、アレッツォの街を歩き始めたが、多分、まだ、シェスタの習慣が残っているのだろう。2時3時は店も閉まっていて殆ど人を見かけなかった。そんな雰囲気なので、余計寒さを感じる。4時を回った頃から店も開き始め、それに従ってどこからともなく人が出て来た。
 今日の禁煙情報。グランデ広場上のバールに入ったが、全面禁煙だった。カメリエーレは寒い中、外に出て吸っていたので、法律は守られている様である。夜行ったトラットリアでも全面禁煙。普通の店でもVIETAO FUMAREの貼り紙をよくみかける様になった。禁煙の波が押し寄せていることには間違いないであろう。

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27 gennaio 2005

イタリア再訪

050127vanter01 イタリアは遠い。やはり遠い。大阪からヘルシンキまで10時間弱。ヨーロッパも10時間切ると楽だなあなんて思っていたら、ヘルシンキでミラノ便に乗り換えて、またまた2時間半。やっぱイタリアは遠い。ヘルシンキは雪だった。2時半でももう夕刻の様。懐かしいバンター空港。そうだった、こんなだったと思いながら、乗り継ぎゲートへ急ぐ。ヘルシンキからのミラノ便は日本の団体が3つ4つ入っていて占領されている。ユーロ圏内は最初に降りた都市で入国審査をするので、あとは国内線の様なもの。乗務員もフィンランド人のみとなり、機内放送もフィンランド語と英語しかない。その国内線を日本人が占領しているのである。日本で言えば、東京〜大阪便がアメリカ人にでも占領され、日本人が数人遠慮がちに乗って居る様なもんだ。これって何かおかしくないか?正にその状態であったのだ。右も左も日本人、折角、イタリアまで来たのに大阪弁が飛び交っている。ナポリ便やパレルモ便は団体は1つで、あとは個人旅行の日本人、バーリ便に至っては日本人はいなかった。やっぱりミラノなんだなあ。きっと、ミラノやフィレンツェには日本人が溢れ返っているのだろう。やっぱり日本人を避けるには南伊かな。今回も大都市は避けて地方都市へ行こうと決意を新たにした。
 さて、最近はユーロ圏内からでもマルペンサに入るみたいだ。ヘルシンキには30分早く着いても、ミラノ便は出発が10分遅れ、到着も18時40分となった。マルペンサから市内までバスで小1時間かかる。何で、リナーテに入らないんだ(-_-;)と思ってもみても仕方ない。今日のホテルは明日の移動を考えてチェントラーレ近くに取っているので、マルペンサエキスプレスではなくプルマンを使う。ここまで来ると、団体は専用バスに乗るので消えた。個人旅行の日本人が他に2人いるだけ。やっと日常を離れた気がした。「中央駅行きのバスはどこから出ていますか?」「5番出口?」「これは中央駅行き?切符売り場はどこ?」…片言のイタリア語だが、やっと口に出来た。バスの中ではイタリア人のネイティブなイタリア語が飛び交う。良いなあ。意味は解らなくても、イタリア語の響きはやっぱり良い。車窓にはイタリアの風景。1年半ぶりのイタリアに興奮を抑えられない。せめて1年に1回はイタリアを訪れたい。
050127centrare やがてバスは見慣れたポルタガリバルディ近くの墓地の前を通る。ここを過ぎると私の好きなホテルエグゼクティブがある筈だ。今回は貧乏旅行なので、4ツ星など利用出来ない。エグゼクティブを越えると、もう中央駅はすぐそこなので、降りる準備をする。バスは19時20分、いつもの様に中央駅脇に到着。明日のアレッツォ行きの切符を買ってからホテルに行こう。以前、20時に窓口が閉まったことがあった。以前は地上正面右に大きな切符売り場あり番号を取って順番待ちまでしていたと思ったが、バスを降りてすぐに小さな切符売り場があった。お客もあまり並んでいない。無事、明日の9時発のESの切符を購入出来た。今夜は中継地。目的地へはまだ4時間かかるのだ。正味イタリアにはたった5日しかないのに本当に勿体ない。バーリもナポリもパレルモも確かに到着は深夜近くであったが、翌日は朝から観光出来た。せめてフィレンツェくらいに入れていたら楽だったのだが。
 大阪〜ヘルシンキで2食、、ヘルシンキ〜ミラノで1食と続けざまの機内食は食べられなかったので、ホテルに着いてから小腹が空いた。レセプションのお兄ちゃん、お薦めのリストランテで久しぶりのイタリア料理を食べ、本場のエスプレッソを飲み、イタリアに来たことを実感した。そうそう、イタリアまさかの禁煙法はどの様な状況か見て来て欲しいと何人かの方に言われたが、今夜行ったリストランテは、まず、全面禁煙で守られていた。店の入り口にはデカデカと「全面禁煙」の貼り紙がしてあった。
 今、イタリアにいることに興奮しながら、旅の始まりを迎える。

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25 gennaio 2005

お洒落な喫茶店

05_01_24 神戸には美味しい洋菓子店がたくさんある。神戸に暮らして、美味しいケーキを食べており、口がこえているので、どの街でお薦めのケーキを食べてもあまり満足することはない。
 中でも私が好きなケーキ屋はフーケ、アンリシャルパンティエ、アンテノールなどである。三宮まで行けばもっとたくさんのケーキ屋はあるが、私の住む須磨ニュータウンにある須磨パティオにもフーケとアンテノールがある。ここには喫茶店も併設されており、いつもは安いフーケに行くのだが、今日は須磨大丸の1階にあるアンテノールに行ってみた。店内は落ち着いた色調、静か、お洒落な絵も飾られており、とてもゆったり出来る。そして、何より有り難いのは全面禁煙であることだ。喫茶店で何が嫌だと言って煙草の煙である。あんな煙の中でとても落ち着いてお茶を楽しむなんて出来ない。店から出たあとも服に臭いが染み付き、実に不愉快である。で、結局、ケーキを買って帰って、家でお茶を飲むことが多い。どんなに疲れても喫茶店には入らないことが多い。アンテノールは全面禁煙であり、美味しいコーヒーとまろやかな甘さの上品なケーキの味をゆっくりと堪能出来る。
 須磨パティオにあるフーケも分煙化はしたが、狭い店内で分煙したところで何の変化もない。中途半端でお互いに不満が残るだけである。やはり、美味しいケーキをゆっくりと味わいくつろいだ空間を楽しむには、煙草の煙のない環境であるべきである。喫茶店本来の目的である「くつろぐ」ということが出来る店を見つけた様で嬉しくなった。

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23 gennaio 2005

釣り銭

05_01_20 やっと、国家試験終了。即日解答で、昨日答合わせしたら、何と5割ちょいしか取れていなかった。6割がボーダーなので、また、来年やり直しになりそう。社会福祉士も1年目はアウトだったけれど、受けた瞬間、完璧アウトって思って帰って来た。それくらい出来なかった。今回は6割5分は取れたつもりで意気揚々と帰って来ただけにかなりショック。解説はないが間違えた問題を良く読むと、読み違えもあり、どこが間違えっているか解るものが殆ど。社会福祉士の時は何故間違っているのかすら解らなかった。まるっきり解らないわけではないだけに社会福祉士の時より悔しい。いくら気が入っていなかったとは言え、不合格は悔しい。来年は8割取って合格してやる!
 さて、忙しくて書けなかったが、先日、郵便局へ某商品の振り込みに行った時のこと…。1,842円だったので1万1,000円を渡した。局員はお皿みたいなやつにお金を置いて釣りの計算を始めた。そして、まず、158円と領収証が帰って来た。ん?暫く立っていたら、局員が不思議そうな顔をしている。私はお皿に乗ったままの1万円を指して「11,000円渡したんですけど…」と言うと、局員は大慌てで平謝りで9,000円を返してくれた。
 日本では公共金融機関で騙されることは、まずないので、明かな勘違いだと思うが、イタリアでは公共金融機関だからと言って安心出来ない。私も何度か騙されたり、騙されかけたことがある。一度はヴェネツィアのサンタルチア駅で、切符を買った時。5万リラ出したのに、5千リラからの釣りと間違い、そのまま帰って来て、後で気づいたことがあった。しかし、これは小銭から釣りを渡すイタリア式に慣れない私が、大きい釣りが出て来る前にその場を去ってしまったのかも知れない。小銭を出してから、かなり時間があった様にも思うが…。
 もう一度はボルツァーノの郵便局。6万5,000リラ分切手を買って、7万リラ払ったら、釣り銭が帰って来ない。じーっとしているとレシートだけしぶしぶ出して来る。イタリアでは公共金融機関でも釣り銭詐欺があると聞いていたので、「5000リラ返せ」と言うと、窓口の若い女性は、「スクーザ」と言って5000リラ返して来たということがあった。その表情には「チェッ、見つかったか」と言わんばかりの苦笑いを浮かべており、およそ、先日の日本の郵便局の局員のそれとは違うものであった。詳しくは旅行記参照。
 最近のイタリアは随分様子が変わって来ているので、どうなっているのか解らないが、私はイタリアのこういうところも好きである。ぼーっとしていると、騙される。騙される方が悪い、置き引きされる方が悪い、摺られる方が悪い。全て自己責任で当たり前のことだと思う。強盗とは違うのだ。自分が注意をしていれば防げることが殆どだ。騙す方との知恵比べもまたゲーム感覚で楽しいもんだ。たまにはそう言う緊張感も必要である。

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11 gennaio 2005

Nikon D70

nikon05_01 試験までにあと2週間ないと言うのに、いまいち、勉強に身が入らない。社会福祉士で燃え尽きた感もある。で、一眼レフの良いデジカメが欲しくなった。イタリアで来年の年賀状用に良い写真を撮りたい。小型デジカメになり、荷物が軽くなったと喜んでいたのだが、やはり一眼レフでないと面白い写真は撮れないか。いや、それは腕だよという噂もあるが(^_^;)。フィルムカメラなら一眼レフを持っているので、一眼レフが欲しけりゃそれを持って行けば良いのだけど、デジカメの便利さを知ってしまうと、今更、銀塩カメラを持って行く気がしない。しかし、身軽が良い旅先で重たい一眼レフを持つかな〜という不安もあった。
 昨日、近所の量販店に見に行った。キャノンは好きなメーカーではないので却下。オリンパスは見るからに安物臭いので却下。と言うわけで、並んでいる中ではニコンのD70 ペンタックスのistDsが気を引いた。機能的にはニコンが上か。言っても世界のニコンだ。しかし、携帯性から言えばペンタックスはかなり軽い。銀塩カメラの時にもブランドでニコンF501を買ったが、重くてペンタックスのMZ10を買い足した過去がある。携帯性か機能か…。店員もいまいちカメラに明るくない感じで、いい加減な答しか返って来ない。とりあえず。パンフレットを取って帰って来た。
 一昨年12月に買ったプラズマテレビとDVDのボーナス2回払いがこの1月で終わると言うので、また、次のボーナス払いが出来る。今日また量販店へ。その前に本屋に寄って、情報を仕入れるがあまり大したことは載っていなかった。今日も散々迷った挙げ句にちょっとはカメラに明るそうな店員を捕まえて尋ねてみる。やはりニコンは重い。しかし、機能的には絶対的にニコンが上だという。私の心もニコンに傾きつつある。元々写真は嫌いではない。一眼レフカメラの重量感、シャッター音、やはり嬉しくなるもんだ。脇を締めてカメラを構える。やっぱりカメラはこうでなくっちゃ。いくらまで下げられるか尋ね、もう一声と値切って、何とか13万5000円まで下げて貰った。それに256MBのコンパクトフラッシュを3000円にして貰って契約成立。勿論、ボーナス2回払い。ソフトケースを5000円にして貰い、展示用のレンズフィルターをタダで貰って14万3000円。3000円だけ現金で払ったので、ボーナスで7万ずつなら払えるだろう。
 今年はこのカメラでヴェネツィアのカルネヴァーレ、ヴェネツィアの夜景を撮って来よう。トスカーナの何げない街も。今年行く街はさほど治安が悪いところでもないので、バーリやカターニャの旧市街の様に、ポケットにカメラを忍ばせてということもないだろう。勿論、イタリアなので油断は禁物だが(^_^;)。今、充電中。完了したら、少し、シャッター音を楽しんで見よう。

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