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febbraio 2005

13 febbraio 2005

イノシシ

0501cinghiale 今日、三宮に買い物に行ったのだが、街角に見慣れた像が…。市営地下鉄三宮駅の西出口を出て、センター街の方へ歩いて行き、最初の信号を越えた、阪急とJRの高架下にそれはあった。今まで、何度もこの道を通っているのに、気付かなかった。それはフィレンツェにあるあのイノシシ像である。フィレンツェにあるのとあまりに似ているので良く見ると、やはり関係ある様なことがプレートに書かれていた。
 シニョーリア広場近くにひっそりと立つ知る人ぞ知るイノシシ。このイノシシを撫でるとフィレンツェを再訪出来るといういわれがある。トレビの泉に後ろ向きにコインを投げるとローマを再訪出来るとか、ピサのドゥオーモの扉に掘られたトカゲを触るとその年の内に結婚出来るとか、サンピエトロのペテロ像の足を撫でると体の悪いところが治る(だったかな?)とか、イタリアにはいろんないわれのものがある。フィレンツェのイノシシも、まあそのひとつだ。
 今から、10年前、戌年の年末にイタリアを訪れた私は、翌年が亥年だったので、ちょうど、年末に通天閣の上で、干支の交代行事があることを思い出し、「フィレンツェでもあるんだ」と思ったものだったが、よく考えたらイタリアに干支はないだろうと思い、この像がずっとここにあるものだと気付いたのであった(^_^;)。
 今日はデジカメを持っていなかったので、写真はフィレンツェのほんまもんです。これと同じ物が三宮にあったのです。
 ※昨日、高校時代の恩師の訃報を知った。ここ2年、年賀状が来なかったことがとても気になっており、一度、訪ねたいと思っていた。昨日、恩師の娘さんから昨年5月に、ご主人を亡くされたショックで5日後に亡くなったというお葉書を頂いた。私の高校は公立普通科では一番下の高校で、出来の良い学校ではなかった。そんな中でも優等生でない子を可愛がってくれた先生だった。私は不良ではないが、素行の良くない生徒であった。そんな私を良く可愛がってくれた。勉強よりも大切なことをたくさん教えてくれた先生だった。結局、いつからかお会いすることなくお亡くなりになってしまったことが残念でならない。親が亡くなった時ほど悲しかった。お彼岸になったら、先生に可愛がって貰った仲間と一緒にお参りに行きたいと思う。

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10 febbraio 2005

我が家のアイドル

050210gon 我が家の飼い猫の餌と砂を買いに、近所のホームセンターに行った。今まで気付かなかったのだが、ここはペットも売っているらしい。ガラス張りのケースの中に入れられた犬や猫が備え付けの餌や水を飲んで、悲しげにないている。見ると、何10万もするみたいだ。うちのゴンちゃんと何処が違うんだろう。目だって2つあるし、足も4本あるし、「にゃー」となくし。
 ゴンちゃんは1985年、我が家にやって来た。生後間もない頃、交通事故に遭って瀕死の重傷だったのだ。まだ、大学生だった妹が拾って来た。すぐに医者に連れて行って手術をした。かなり金がかかったが、その後は医者いらずの猫である。そんなに傷を負っていながら、今年で20年になる。
 実は一昨年、「阪神が優勝した年に来たので、阪神の優勝の年に死ぬんじゃないか」と言っていたのだが、そこも乗り越え、もう20年。さすがにあまり外に行かず、寝ていることが多くなったが、食欲も衰えず、まだまだ元気である。今は父がイタリアに行っているので、同じ町内に住む私と妹が交代で餌をやりにいっているが、やはり誰もいない家の中は寂しい様だ。明日、父が帰って来るので、また、元気になるだろう。
 ホームセンターで売られていた何10万もする猫の様な血統書もない野良猫だが、私達には何者にも代え難いアイドルである。いつまでも長生きして欲しい。

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07 febbraio 2005

イタリア雑感

05malpensa1 11時発のヘルシンキ行きフィンランド航空に乗る為に、9時にはマルペンサに着かなければならない。8時のバスに乗るべく、7時50分にホテルを出る。アリタリアなら15時発の直行。1万円をケチった為に、相当無駄な日程になってしまった。それにアリタリアなら、飛行機の中もまだイタリア。日本に着くまでイタリアを感じていられる。やはりアリタリアにすべきだったと後悔もある。
 ヘルシンキまでは3時間半。1時間の時差があるので15時半。実は昨日日本を発った父が、私と入れ違いで今日ヨーロッパにやって来る。あと1時間程でウィーンに到着する筈だ。そして、私が日本に向けて発った1時間後、ヴェネツィアに向けて出発するのである。今度は父がカルネヴァーレ巡りだ。
05finair さて、イタリアでは今年1月に禁煙法が施行され、どうなっているのか凄く興味があったが、見事に守れていた。バール、ロビー、レストランなど施設はほぼ全面禁煙、列車も全面禁煙。まだ喫煙車の残る日本は文明社会から取り残されつつあると感じた。イタリアに初めて来た頃、日本はアメリカから10年遅れ、更にイタリアは日本から10年遅れていると思った。レストランで「禁煙席はあるか?」と聞くとおかしな顔をされ、国連ビルのロビーでさえ禁煙ではなく、喫煙天国とされていた。各航空会社の国際線がどんどん全面禁煙にしていく中、アリタリアとリベリアは実施されないだろうと思っていたりした。数年前、禁煙車で喫煙している客に厳しく周囲をする車掌を見て、ルールは守るんだとと変な感心もした。そして、一昨年夏、イタリア南部の小さな街のバールで全面禁煙の店をみつけ驚いた。イタリアは着々と文明社会に近づいていたのだ。そして、今年、見事に禁煙法が守られていてイタリアを見直した。街中でのくわえ煙草や、駅のホームは禁煙化されていないなど、アメリカに比べればまだまだであるが、施設が全面禁煙になったことで、旅は非常に快適であった。日本はイタリアに追い抜かれ、大きく遅れを取っている。まだ、狭い店内で分煙なんてバカバカしいことをやっていることに、世界に取り残されていると感じた。
 今回、たった8日間、現地には正味5日間という短い旅だった。せめて10日は欲しいと思う。それでも1年半ぶりにイタリアの空気を感じリフレッシュ出来た。入れ替わりでイタリアを廻っている父は11日に帰国する。

※ 今回ブログに日記風にアップしましたが、改めて詳しい旅行記をHPにアップして行きたいと思います。そちらも是非ご覧下さい。
※ ブログにコメントを頂いた皆さん、ありがとうございました。コメントがとても励みになりました。

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06 febbraio 2005

迷うことが楽しい街

05venezia03 イタリア最後の日。明日はマルペンサに9時には到着しなければならないので、今日中にはミラノに入っておかなければならない。ヴェネツィアの夜を1日しか過ごせないのは至極残念であるが仕方ない。18時22分発のミラノ行き最終ESの切符を買って、最後のヴェネツィア、最後のイタリアを楽しむ。バポレットでフェロビアまで行き、切符を購入後、写真撮影を兼ねて、ストラーダヌォーヴァを歩いて、リアルトまで帰って来た。スーパースタンダがなくなり、違うスーパーに変わっていた。
 ヴェネツィアは迷うことが楽しい街である。地図はアテにならない。地図を持って歩くことの無意味さを感じる街である。街の至る所に表示されている「Per S.marco」「Per Ferrovia」「Per Rialto」に従って歩けば、目的地に戻れるのである。途中、広場に出たら「Campo 〜」の表示を地図で確認すれば現在地が解る。難は気に入った場所に戻りたいと思っても、不可能なことが多いことだ。
05smarco2 何気ない裏道に良い被写体がたくさんあるのがヴェネツィア。リアルトからサンマルコまで知らない通りを通ってみようと「Per S.marco」に従って歩き始めたが、そのうち表示が消え、大きな教会に出た。何となく方向がおかしく感じられたので、表示されている「Campo Ss.Giov.e Paolo」を地図で調べるとやはりとんでもない方向にいる。それでも、迷いながら戻る道もまた魅力的なところがヴェネツィアなのである。
05venezia05 昨日、定休だったお気に入りのレストランに予約を入れると1時45分しか取れないとのことであったので、予約時間までカフェフローリアンで過ごす。中世の仮装そした人達も入っていて雰囲気は最高であった。時間になりレストランへ行くと、団体客が丁度精算を終えて出ようとしているとこであった。団体客が去った後、客は私だけ。暫くして地元の人間らしい家族連れが1組。何だか寂しいウルッティマ チェナならず、ウルッティモ プランツォだった。
 食事を終えるともう夕方。最後のヴェネツィアを今一度目に焼き付け、18時にサンタルチア駅に戻って来た。流石に始発駅なので、遅れることなく既に列車は入線していた。でも、出発したのは3分遅れ。アナウンスもなく動き出す。ミラノ着が21時を廻るガラ空きの最終ES列車に観光客の姿はなく、ネクタイ姿のビジネスマンばかりである。
 21時10分、5日前に猛烈寒波の中、45分遅れで後にしたミラノチェントラーレに戻って来て、私のイタリア再訪も終わりを告げた。

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02 febbraio 2005

カルネバーレ

05venezia02 ヴェネツィアはどんな時にも楽しい街だ。心から楽しめるテーマパークの様な街である。元々私が最初にイタリアに来たいと思ったのは「旅情」でヴェネツィアを見たことがきっかけである。キャサリンヘップバーンの様にサンマルコ広場でお茶を飲む夢がかなった最初のイタリア。それから、何度もヴェネツィアを訪れているが、ヴェネツィアには独特の雰囲気がある。他都市の様なエネルギッシュな喧噪はないのだが、本当に心をわくわくさせてくれる街、それがヴェネツィアだ。
 今回は中部だけを回る予定だったのであるが、カルネバーレの期間中であるということで、急遽ヴェネツィアを組み込んだ。それだけに期待は大きい。
 昨日、撮りそびれたフィレンツェの写真を撮りに周り、10時39発のESに乗る。当たり前の様に15分のリタルド。当たり前の様に遅れを取り戻す気配もなく、ヴェネツィアに向かう。ヴェネツィアが近づくに連れて、胸の高まりは大きくなる。パードヴァを過ぎ、メストレを過ぎ、リベルタ橋にかかると本島が見えて来る。それだけで、いつもわくわくするのに、今回はカルネバーレが見れるのだ。
 1時40分、案の定遅れて到着。24時間券を買ってヴァポレットに乗る。これが間違えて反対方向に乗ってしまい、サンザッカリアまで1時間もかかった上に、えらく遠くで降ろされてしまった。リアルトの方へいくやつに乗るべきだったのだ。
05cernevale01 ホテルにチェックインするや否や街に飛び出す。ちなみに今日のホテル、覚悟はしていたが、勿論エレベーターはなく、バスカもなく、屋根裏部屋みたい部屋で、夜中、ヒーターから水が漏れて来てビニールで受けてなければならなかった。今回の中で最低なホテルなのに、何と一番高い110ユーロ。フィレンツェは部屋こそぼろかったものの、バスカ付き、ベッドはダブル、これで1日42ユーロだったことから思うとぼったくり?でも、まあ、この時期、こマシなホテルは大方200ユーロ、300ユーロはするし、本島に泊まりたかったんだから仕方ないか。
 サンマルコまで出ると、いました。いました。仮装した人達。中世の衣装に身を包み、マスクを付けている。彼らがいるところがどこでも臨時撮影会になる。カメラを向けられると、ポーズを取ったり、ちょっとした芸人気取り。彼らは一体何者なんだろう。彼らも又、カルネバーレを楽しみにやって来ている人達?私も何枚も何枚も写真を撮ったり、一緒に撮って貰ったりした。サンマルコ広場にはメイクアップアーチスト達も店を広げて、メイクを施す客引きをしている。本当にヴェネツィアは楽しい。カメラを肩から掛けて歩いても問題ない街なので、やっとニコンを持ち出し、あちこち撮影してまわる。やっと使い方が解ったので、リアルトからの夜景も撮ってみた。
05venezia01 今夜は贔屓のリストランテに行く予定だったが、どうも人の気配がしない。見ると月曜は休みであった。本当にこことは縁がない。最近夏にばかり来ているのだが、店の夏期休暇に当たる為、なかなか行けないのだ。今夜もまた行けなかった。仕方なく、マドンナに行くことにした。イタリア料理はどこも美味しいが、私はヴェネツィア料理が一番好きなのである。今日と明日とでたっぷり食べるつもりだ。1日目の夜、ヴェネツィア料理に満足して出て来るとサンマルコ広場は、昼間のあれ程喧噪がまるで夢の様に、もう人影もホンの少しになっていた。

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01 febbraio 2005

トスカーナの休日は…

05lucca2 念願のピエロ詣も果たし、少し気が抜けた。フィレンツェまるまるフリーの1日、計画もしていなかった。駄菓子さんのブログに出て来たコッレ・バル・デルサに行ってみたいと思っていたので、SITAのターミナルに行ってみた。またまた、日曜ということで極端にバスが少ない。シエナもサンジミニャーノも同様に。何で日曜だとこうも極端にバスがなくなるのだろうか。日曜で店も閉まっているし、1日フィレンツェにいても時間を持て余す。かと言って日のあるうちに写真も撮りたい。1日仕事の遠出も避けたいのだ。一旦、切符を買ってから帰って来るのにちょうど良いバスがないことに気付き、返還を求めたが、一度売った切符は返金出来ないと言われてしまった。
 結局、コッレ・バル・デルサは次回への宿題とし、ルッカへ行くことにした。ルッカは2度目の為、おおまかなところはもう見ている。そして、ルッカもまた日曜でメインストリートの店は殆ど閉まっていた。ルッカのチェントロストリコは狭い道の両端に高い建物が建って居る為、殆ど日が当たらない。店も閉まっていて、とても写真になる様な被写体がはなかった。かくなる上はルッカで食事でもして帰るか。日本人だらけの喧噪のフィレンツェで食事をするより良いかも知れない。ちょっと上等そうなレストラン「ブーカ ディ サンタントニオ」。どうしようか迷ったが決心して入る。とても写真に撮る勇気はなかったが、味はなかなかの物だった。
05lucca1 ゆっくり食事をしていたら2時前になってしまった。本当に食事をしに来ただけになってしまった。帰りの列車は14時59分にある。これで帰れば、何とか日暮れまでにミケランジェロ広場に行けそうだ。切符を買って一息ついていたら、朝も列車が一緒だった日本人のご夫婦がやって来た。声を掛けると阪神のツアーでやって来たとのことであった。一緒に帰りのホーム4番線まで移動。列車が来たので乗りいろいろお話をしているうちに次の駅に停まった。殆どの人が降り、エンジンも止まり、何だか様子がおかしい。駅の表示を見て、一瞬私は目を疑った。そこには「Viareggio」の文字が…。そう、私達は反対行きの列車に乗ってしまったのだ。確かに同じ時間に同時に出るなあとは思っていたが、イタリアの列車は時間通り来ないので、この時間、1本しか入って来なかったのだ。しかも、アナウンスもない。いつもの私なら、必ず行き先を確認する。しかし、人が一緒で安心していたこと。昨日、緊張し過ぎていたので今日は気が緩んでいたことなどが原因だろう。
050131firenze1 それにしても、ヴィアレッジョが近くて良かった。終点がもっと先なら、私達はどこまでも間違いに気付かず、乗り続けていただろう。結局、乗って来た列車がそのまま1時間後の列車として折り返す。フィレンツェに着いたら外は真っ暗。ミケランジェロ広場は諦める。これなら、サンジミニャーノに行っていても一緒だったなと後悔する。
 ホテルに戻ってニュース番組を見ていると、今日はヴィアレッジョでカルネバーレがあったらしい。解っていれば、ルッカ何か行かず見に行ったのに残念だ。
 結局、何もぜず、1日無駄にした様な後悔が…。しかし、フィレンツェにいたらいたで、どこかへ行くべきだっと後悔したに違いない。5日しかない日程は無駄をなくそうとして、結局、無駄が多くなる。

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