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marzo 2005

25 marzo 2005

神戸スイーツハーバー

harbor050325_1 厚生労働省の訓練給付金の申請をしに、ハローワークへ行かなければならず、久し振りに街に出た。手続きをしたあと、ハーバーランドに行ってみた。以前ニュースで見たスイーツハーバーが気になったからだ。元々、ハーバーランドが出来た時は西武百貨店だった場所だが、その後、ハーバーサーカスというショッピングビルとなり、今は何となっているのか、とにかくそのビルの地下1階がスイーツハーバーと呼ばれるケーキのテーマパークとなっているらしい。きっと、美味しいケーキが目白押しだろう。神戸はお菓子の街である。美味しいケーキ屋がたくさんある。そんな中で出来たケーキ専門のテーマパーク。是非、お茶でもして帰ろう。
herber050325_2 内部は昭和初期を感じさせる様な作りになっており、テーマパークであることを感じさせる。しかし、どこもここもあまり美味しそうなケーキがない。私は、フランス料理のデザートにでも出て来る様なケーキを想像していたのだが、何だかけばけばしい色のケーキや、如何にも甘そうなケーキ。所謂上品なケーキがないのだ。そのくせ値段だけは、500円前後する。フーケやアンテンールなど美味しいケーキ屋がたくさんある神戸で、これでは情けない。結局一周したが、購買欲をそそられる様なケーキもなく、そのまま出て来た。しかし、ケーキを食べたい気持ちだけは残ったので、ウチの近所の須磨パティオにあるアンテノールでケーキを買って帰って来た。

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21 marzo 2005

エキスポ'70

expo70_2 いよいよ3日後に愛知万博が開幕する。私も前売りを買ってしまった。愛知万博そのものよりも35年前の大阪万博へのノスタルジーからである。
 昭和元禄真っ只中の1970年「人類の進歩と調和」をキャッチフレーズに、大阪万博は開催された。吹田の千里で開催された万博。千里ニュータウンに親戚があったこともあり、合計11回も通った。夜間のみの入場料は安いので、夏場は夜間ばかり通った。当時小学生だった私には閉場の22時は遅く、新米ドライバーだった父が運転する軽自動車の助手席で寝ながら帰って来たものだ。当時はシートベルトなどというものはなかったので、紐でシートにくくられていた。
 11回も行ったので、めぼしい人気パビリオンは殆ど見ることが出来た。アメリカ館に展示されていた月面着陸したアポロ11号と月の石。さしづめ今回のマンモス像の様なものだろうか。動く歩道に乗って海底やマグマの中を通る三菱未来館、お笑いの館ガスパビリオン、大きなスクリーンが印象的だった富士グループパビリオン、ドーム型のスクリーンが迫力あったみどり館アストロラマ、当時の国のシンボル釜と槌をイメージしたソ連館、国がろこにあるのかすら知らなかったイタリア館、コンピューターで自分で物語を作りおそ松君のイヤミから手紙を貰ったIBM館、飛行機の操縦席を体験出来た日立グループ館、夜間はガラスのイルミネーションが奇麗だったスイス館、松下館のタイムカプセルに昭和の代表曲として選ばれたのはピンキラの「恋の季節」だった。始まって間がない頃、太陽の塔の目玉のところに赤軍派が座り込み、光が出せないこともあった。
expo70_1 各パビリオンで貰ったグッズや、ペナント、地図、パンフレットなど捨てずに置いてあったのだが、今でも実家に残っているだろうか。
 その後様々な博覧会が開かれた。75年には沖縄海洋博、81年には神戸ポートピア博もあった。ポートピアは地元でもあったので、2回ほど行ったが、大阪万博から10年以上も経っているのに科学の進歩はあまり感じられず、大阪万博の展示の方が凄いものも感じた。それだけ大阪万博は凄かったということなのだろう。きっと、今、見ても先進的なものもあるかも知れない。
 今回、開幕前にも関わらず、チケットを購入したのは、大阪万博の再来を感じたからである。携帯電話で誰でも気軽にテレビ電話をかけることが出来る様になり、インターネットで瞬時に世界の何処にでもメールが飛ばせる21世紀になり、大阪万博からどれだけ進んだものが見れるのだろう。月の石の代わりにマンモス像、三菱未来館の代わりにトヨタグループ館、今では第2の故郷になってしまったイタリア館、そして、昭和を再現した「サツキとメイの家」に期待している。
 小学生だった35年前へのタイムトリップを今から楽しみにしている。
※写真はソビエト連邦館(バックは開発進む千里ニュータウン)とアメリカ館のアポロ11号。

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17 marzo 2005

いかなごの釘煮

ikanago05 いかなご解禁の日より、あちらこちらから甘辛い佃煮を煮るにおいが漂って来る様になった。近くのスーパーでは午前中は朝漁りのいかなごが積み上げられている。それも午後にはなくなってしまうのだ。「今日は○kg炊いた」「どこどこでは1kgいくらで売っている」などの会話が、この時期主婦の挨拶の様だ。この時期、郵パックや宅配便などでは、いかなご釘煮を送る為の専用の箱が出ていたりもする。
 元々、いかなごの釘煮は垂水漁港で漁られていたことから、神戸市西部から明石市にかけてのローカルなものだったらしい。それが、今ではすっかりメジャーなものになってしまった。
 家で炊く人も昔は今ほど多くなかった為、炊いた家は隣近所に配り歩いていた。しかし、昨今、どこもここも炊いている為、この周辺ではあげる家はなくなった。逆にあちこちから持って来られて困ることもある。
 我が家も、昔は母が毎日何kgも炊いて、あちこちに送っていた。今は、父が母の残したレシピを見ながら炊いている。お友達に送るのが楽しみな様だ。最初は、飴が堅くなり過ぎたり、固まらなかったりと失敗続きだったが、毎年、炊いているので、今ではすっかりお手のものとなっている。私も予約してしまった。
 佃煮となったものも販売されているが、いかなごの釘煮は家の味が大切なのだ。やはり、いかなごの釘煮は我が家のものでなければならない。
 いかなごの釘煮が話題になり始めると、春はもうすぐそこだ。

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