07 febbraio 2005

イタリア雑感

05malpensa1 11時発のヘルシンキ行きフィンランド航空に乗る為に、9時にはマルペンサに着かなければならない。8時のバスに乗るべく、7時50分にホテルを出る。アリタリアなら15時発の直行。1万円をケチった為に、相当無駄な日程になってしまった。それにアリタリアなら、飛行機の中もまだイタリア。日本に着くまでイタリアを感じていられる。やはりアリタリアにすべきだったと後悔もある。
 ヘルシンキまでは3時間半。1時間の時差があるので15時半。実は昨日日本を発った父が、私と入れ違いで今日ヨーロッパにやって来る。あと1時間程でウィーンに到着する筈だ。そして、私が日本に向けて発った1時間後、ヴェネツィアに向けて出発するのである。今度は父がカルネヴァーレ巡りだ。
05finair さて、イタリアでは今年1月に禁煙法が施行され、どうなっているのか凄く興味があったが、見事に守れていた。バール、ロビー、レストランなど施設はほぼ全面禁煙、列車も全面禁煙。まだ喫煙車の残る日本は文明社会から取り残されつつあると感じた。イタリアに初めて来た頃、日本はアメリカから10年遅れ、更にイタリアは日本から10年遅れていると思った。レストランで「禁煙席はあるか?」と聞くとおかしな顔をされ、国連ビルのロビーでさえ禁煙ではなく、喫煙天国とされていた。各航空会社の国際線がどんどん全面禁煙にしていく中、アリタリアとリベリアは実施されないだろうと思っていたりした。数年前、禁煙車で喫煙している客に厳しく周囲をする車掌を見て、ルールは守るんだとと変な感心もした。そして、一昨年夏、イタリア南部の小さな街のバールで全面禁煙の店をみつけ驚いた。イタリアは着々と文明社会に近づいていたのだ。そして、今年、見事に禁煙法が守られていてイタリアを見直した。街中でのくわえ煙草や、駅のホームは禁煙化されていないなど、アメリカに比べればまだまだであるが、施設が全面禁煙になったことで、旅は非常に快適であった。日本はイタリアに追い抜かれ、大きく遅れを取っている。まだ、狭い店内で分煙なんてバカバカしいことをやっていることに、世界に取り残されていると感じた。
 今回、たった8日間、現地には正味5日間という短い旅だった。せめて10日は欲しいと思う。それでも1年半ぶりにイタリアの空気を感じリフレッシュ出来た。入れ替わりでイタリアを廻っている父は11日に帰国する。

※ 今回ブログに日記風にアップしましたが、改めて詳しい旅行記をHPにアップして行きたいと思います。そちらも是非ご覧下さい。
※ ブログにコメントを頂いた皆さん、ありがとうございました。コメントがとても励みになりました。

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06 febbraio 2005

迷うことが楽しい街

05venezia03 イタリア最後の日。明日はマルペンサに9時には到着しなければならないので、今日中にはミラノに入っておかなければならない。ヴェネツィアの夜を1日しか過ごせないのは至極残念であるが仕方ない。18時22分発のミラノ行き最終ESの切符を買って、最後のヴェネツィア、最後のイタリアを楽しむ。バポレットでフェロビアまで行き、切符を購入後、写真撮影を兼ねて、ストラーダヌォーヴァを歩いて、リアルトまで帰って来た。スーパースタンダがなくなり、違うスーパーに変わっていた。
 ヴェネツィアは迷うことが楽しい街である。地図はアテにならない。地図を持って歩くことの無意味さを感じる街である。街の至る所に表示されている「Per S.marco」「Per Ferrovia」「Per Rialto」に従って歩けば、目的地に戻れるのである。途中、広場に出たら「Campo 〜」の表示を地図で確認すれば現在地が解る。難は気に入った場所に戻りたいと思っても、不可能なことが多いことだ。
05smarco2 何気ない裏道に良い被写体がたくさんあるのがヴェネツィア。リアルトからサンマルコまで知らない通りを通ってみようと「Per S.marco」に従って歩き始めたが、そのうち表示が消え、大きな教会に出た。何となく方向がおかしく感じられたので、表示されている「Campo Ss.Giov.e Paolo」を地図で調べるとやはりとんでもない方向にいる。それでも、迷いながら戻る道もまた魅力的なところがヴェネツィアなのである。
05venezia05 昨日、定休だったお気に入りのレストランに予約を入れると1時45分しか取れないとのことであったので、予約時間までカフェフローリアンで過ごす。中世の仮装そした人達も入っていて雰囲気は最高であった。時間になりレストランへ行くと、団体客が丁度精算を終えて出ようとしているとこであった。団体客が去った後、客は私だけ。暫くして地元の人間らしい家族連れが1組。何だか寂しいウルッティマ チェナならず、ウルッティモ プランツォだった。
 食事を終えるともう夕方。最後のヴェネツィアを今一度目に焼き付け、18時にサンタルチア駅に戻って来た。流石に始発駅なので、遅れることなく既に列車は入線していた。でも、出発したのは3分遅れ。アナウンスもなく動き出す。ミラノ着が21時を廻るガラ空きの最終ES列車に観光客の姿はなく、ネクタイ姿のビジネスマンばかりである。
 21時10分、5日前に猛烈寒波の中、45分遅れで後にしたミラノチェントラーレに戻って来て、私のイタリア再訪も終わりを告げた。

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02 febbraio 2005

カルネバーレ

05venezia02 ヴェネツィアはどんな時にも楽しい街だ。心から楽しめるテーマパークの様な街である。元々私が最初にイタリアに来たいと思ったのは「旅情」でヴェネツィアを見たことがきっかけである。キャサリンヘップバーンの様にサンマルコ広場でお茶を飲む夢がかなった最初のイタリア。それから、何度もヴェネツィアを訪れているが、ヴェネツィアには独特の雰囲気がある。他都市の様なエネルギッシュな喧噪はないのだが、本当に心をわくわくさせてくれる街、それがヴェネツィアだ。
 今回は中部だけを回る予定だったのであるが、カルネバーレの期間中であるということで、急遽ヴェネツィアを組み込んだ。それだけに期待は大きい。
 昨日、撮りそびれたフィレンツェの写真を撮りに周り、10時39発のESに乗る。当たり前の様に15分のリタルド。当たり前の様に遅れを取り戻す気配もなく、ヴェネツィアに向かう。ヴェネツィアが近づくに連れて、胸の高まりは大きくなる。パードヴァを過ぎ、メストレを過ぎ、リベルタ橋にかかると本島が見えて来る。それだけで、いつもわくわくするのに、今回はカルネバーレが見れるのだ。
 1時40分、案の定遅れて到着。24時間券を買ってヴァポレットに乗る。これが間違えて反対方向に乗ってしまい、サンザッカリアまで1時間もかかった上に、えらく遠くで降ろされてしまった。リアルトの方へいくやつに乗るべきだったのだ。
05cernevale01 ホテルにチェックインするや否や街に飛び出す。ちなみに今日のホテル、覚悟はしていたが、勿論エレベーターはなく、バスカもなく、屋根裏部屋みたい部屋で、夜中、ヒーターから水が漏れて来てビニールで受けてなければならなかった。今回の中で最低なホテルなのに、何と一番高い110ユーロ。フィレンツェは部屋こそぼろかったものの、バスカ付き、ベッドはダブル、これで1日42ユーロだったことから思うとぼったくり?でも、まあ、この時期、こマシなホテルは大方200ユーロ、300ユーロはするし、本島に泊まりたかったんだから仕方ないか。
 サンマルコまで出ると、いました。いました。仮装した人達。中世の衣装に身を包み、マスクを付けている。彼らがいるところがどこでも臨時撮影会になる。カメラを向けられると、ポーズを取ったり、ちょっとした芸人気取り。彼らは一体何者なんだろう。彼らも又、カルネバーレを楽しみにやって来ている人達?私も何枚も何枚も写真を撮ったり、一緒に撮って貰ったりした。サンマルコ広場にはメイクアップアーチスト達も店を広げて、メイクを施す客引きをしている。本当にヴェネツィアは楽しい。カメラを肩から掛けて歩いても問題ない街なので、やっとニコンを持ち出し、あちこち撮影してまわる。やっと使い方が解ったので、リアルトからの夜景も撮ってみた。
05venezia01 今夜は贔屓のリストランテに行く予定だったが、どうも人の気配がしない。見ると月曜は休みであった。本当にこことは縁がない。最近夏にばかり来ているのだが、店の夏期休暇に当たる為、なかなか行けないのだ。今夜もまた行けなかった。仕方なく、マドンナに行くことにした。イタリア料理はどこも美味しいが、私はヴェネツィア料理が一番好きなのである。今日と明日とでたっぷり食べるつもりだ。1日目の夜、ヴェネツィア料理に満足して出て来るとサンマルコ広場は、昼間のあれ程喧噪がまるで夢の様に、もう人影もホンの少しになっていた。

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01 febbraio 2005

トスカーナの休日は…

05lucca2 念願のピエロ詣も果たし、少し気が抜けた。フィレンツェまるまるフリーの1日、計画もしていなかった。駄菓子さんのブログに出て来たコッレ・バル・デルサに行ってみたいと思っていたので、SITAのターミナルに行ってみた。またまた、日曜ということで極端にバスが少ない。シエナもサンジミニャーノも同様に。何で日曜だとこうも極端にバスがなくなるのだろうか。日曜で店も閉まっているし、1日フィレンツェにいても時間を持て余す。かと言って日のあるうちに写真も撮りたい。1日仕事の遠出も避けたいのだ。一旦、切符を買ってから帰って来るのにちょうど良いバスがないことに気付き、返還を求めたが、一度売った切符は返金出来ないと言われてしまった。
 結局、コッレ・バル・デルサは次回への宿題とし、ルッカへ行くことにした。ルッカは2度目の為、おおまかなところはもう見ている。そして、ルッカもまた日曜でメインストリートの店は殆ど閉まっていた。ルッカのチェントロストリコは狭い道の両端に高い建物が建って居る為、殆ど日が当たらない。店も閉まっていて、とても写真になる様な被写体がはなかった。かくなる上はルッカで食事でもして帰るか。日本人だらけの喧噪のフィレンツェで食事をするより良いかも知れない。ちょっと上等そうなレストラン「ブーカ ディ サンタントニオ」。どうしようか迷ったが決心して入る。とても写真に撮る勇気はなかったが、味はなかなかの物だった。
05lucca1 ゆっくり食事をしていたら2時前になってしまった。本当に食事をしに来ただけになってしまった。帰りの列車は14時59分にある。これで帰れば、何とか日暮れまでにミケランジェロ広場に行けそうだ。切符を買って一息ついていたら、朝も列車が一緒だった日本人のご夫婦がやって来た。声を掛けると阪神のツアーでやって来たとのことであった。一緒に帰りのホーム4番線まで移動。列車が来たので乗りいろいろお話をしているうちに次の駅に停まった。殆どの人が降り、エンジンも止まり、何だか様子がおかしい。駅の表示を見て、一瞬私は目を疑った。そこには「Viareggio」の文字が…。そう、私達は反対行きの列車に乗ってしまったのだ。確かに同じ時間に同時に出るなあとは思っていたが、イタリアの列車は時間通り来ないので、この時間、1本しか入って来なかったのだ。しかも、アナウンスもない。いつもの私なら、必ず行き先を確認する。しかし、人が一緒で安心していたこと。昨日、緊張し過ぎていたので今日は気が緩んでいたことなどが原因だろう。
050131firenze1 それにしても、ヴィアレッジョが近くて良かった。終点がもっと先なら、私達はどこまでも間違いに気付かず、乗り続けていただろう。結局、乗って来た列車がそのまま1時間後の列車として折り返す。フィレンツェに着いたら外は真っ暗。ミケランジェロ広場は諦める。これなら、サンジミニャーノに行っていても一緒だったなと後悔する。
 ホテルに戻ってニュース番組を見ていると、今日はヴィアレッジョでカルネバーレがあったらしい。解っていれば、ルッカ何か行かず見に行ったのに残念だ。
 結局、何もぜず、1日無駄にした様な後悔が…。しかし、フィレンツェにいたらいたで、どこかへ行くべきだっと後悔したに違いない。5日しかない日程は無駄をなくそうとして、結局、無駄が多くなる。

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30 gennaio 2005

念願のピエロに出会えた日

monterchi05_1 いよいよ、この旅のメインイベント。今日は、何が何でもモンテルキ&サンセポルクロへ行かねばならぬ。今回たった1週間しかないのにイタリアまでやって来たのは、この為なんだもの。いかし、アレッツォからのバスは極端に少ない。一体、行って帰って来ることは出来るのか?iの兄ちゃんも解らないというくらい少ない。タダでさえ少ないのに今日は土曜日ということで一層少なくなる。
 しかし、ここまで来て宿題に残すのは嫌だ。結局、8時45分発のアンギアーリ経由のバスで行くことにした。何とかなるだろう。平日はこれがモンテルキ経由らしいのだ。運転手に尋ねると、やっぱり le Villeから足はないという。タクシーもないらしい。歩いても10分だよとのこと。10分?モルト ヴィチーノやんけ?じゃ、歩こうと思ったら、運ちゃん「歩いて10分だよ。…3㎞くらいだし」。「えっ?3㎞?3㎞10分で歩けるか?」不安に思ったが、足がないなら歩くしかない。まあ、何とかなるだろう。そういう国だ。イタリアは。「着いたら教えてね」「le villeで良いの」「そう」バスは出発した。
05ville アレッツォを出て暫く行くとバスはどんどん山道を登って行く。そして、雪がどんどん深くなって行く。一面雪景色だ。le villeには9時25分に着いた。道沿いの何の変哲もない小さな村であった。確かにタクシーはなさそうなので、歩くことにした。100mも行くと道が二手に分かれる。左(真っ直ぐ)へ行くとアンギアーリ、右に曲がるとモンテルキになる。モンテルキまで3㎞。本当に10分で行けるのだろうか。雪が積もっており、歩くのが大変。車も結構走っているのでヒッチハイクでもしたい気分だ。
 なかなか人影も見ないが30分歩いたところでたまたまゴミ捨てに来たおっちゃんに尋ねたら、目的の美術館はここから1.5㎞先だという。まだ、半分しか来てないの〜?文化財の案内を示す茶色の看板を見つける度に期待するが、違うものだった。
 そこから20分歩いて、やっと、「museo Madona del parto」の茶色い看板を見つける。イタリア名物の立ち話をする暇な親父に尋ねると「心配要らないよ。俺が案内してやるよ」と言って一緒に歩き始めた。小さな村は知り合いだらけの様で、人に会う度に「このジャッポネーゼを案内してるんだ」と何故か自慢げ。しまいには「俺のマンマ」まで出て来る始末。「マンマはそこに住んでるんだ。俺はこの上の奥に住んでる。そこは奥さんの実家。もう亡くなったけどね」。この辺りはメディチ家と関係深い様で何やかんやと話してくれたが、さっぱり解らず、申し訳なかった。一応、解った振りして頷いておいたけど。「標識はこっちだけど、今日は雪で道が悪い。こっちから行った方が良い」と案内してくれた先に、見えて来ました。マドンナ デル パルト美術館。「そこだよ。俺の家はこっちなんだ。じゃあね。チャオ」と親父は消えて行った。
 le villeから1時間歩き続けて漸く辿り着いた念願の美術館。ああ、あの絵に会えるのかな。気になり続けていた「出産の聖母」。はやる心を押さえつつ受付で切符を買う。そして、「タクシーはないか?」と尋ねると受付の親父はタクシーを呼んでくれた。
piero01 入り口入ってすぐ右の部屋にその絵はあった。中に入ると電気がついた。この時の感激をどう表せば良いだろう。長年の夢だった。モンテルキが一体どこにあるのかも解らなかった。ついに積年の夢叶いこの絵に対面出来たのだ。ここにはこの絵が1枚あるだけ。その絵を見る為に遙々やって来たのだ。いつまでもここにこうしていたいが、20分後にはタクシーがやって来る。切符売り場の親父と話をしているうちにタクシーはやって来た。タクシーの運ちゃんは女性であった。この街にはタクシーは2台しかないらしい。自分と夫の2人だけと言っていた。美術館まで案内してくれた親父、受付の親父、タクシーの運ちゃん、田舎町の人達は本当に親切だ。ピエロの絵だけでなく、この人達のお陰で、モンテルキという村がとても好きになった。タクシーのお陰で、le villeを11時27分発のサンセポルクロ行きに乗ることが出来、昼前に到着した。市立美術館にもピエロ・デッラ・フランチェスカの貴重な絵がある。
 美術館を出た後、街の写真でも撮ろうと思ったが、またまた吹雪始め、とても呑気に写真を撮る気になれず。食事入ったレストランで13時45分の後は16時台までバスがないことに気付き、大慌てでバス停まで戻って来た。
 念願だったピエロ・デッラ・フランチェスカの絵と対面出来、今回の旅の目的は大方果たせた気がした。そして、夢の後はフィレンツェでブランド巡りという現実に戻るのであった。

※ ちなみに今日(1月29日)は母の命日。母が亡くなった日、私はヴェネツィアにいたのでした。

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28 gennaio 2005

やっぱりイタリア

05grande01 やっぱりイタリアだ。ミラノからアレッツォへ行く列車、8時にしようか、9時にしようか迷った挙げ句、8時は早過ぎると思って9時にしたのだ。結果的には8時にも乗れる時間に起きたが、もう切符は買ってしまっているから仕方がない。乗る前にオラリオも欲しいから、ちょっと早めにホテルを出た。8時半にはホームに上がっていたのだが、私が乗る予定のローマテルミニ行き列車はどっから出るかの表示が出ていない。嫌な予感は的中。最近はFSはそう遅れないと聞いたので油断していた。案の定20分遅れ。そして、30分遅れになる。ritardi、ritardiと何本もの列車が当たり前の様に表示されている。やっぱり8時のにすべきだった。9時発だけはミラノが始発ではなかったのだ。トリノから来る。
 トリノからの列車は、結局30分遅れで到着し、出発したのは45分遅れ。更に遅れを取り戻そうとすることもなく、ボローニャには50分遅れ。フィレンツェにも50分遅れの到着となった。当然のことながら乗り換えるべき列車は既に出てしまっている。次のを待っていたら、アレッツォに着くのは14時になってしまう。丁度、隣に入って来たトリエステからナポリへ行くICに乗れば1時15分には着くことになっている。お金を足せば乗れるのか聞いてみたら11ユーロだと言うので乗ることにした。この列車も時間通りにフィレンツェに着いているのに、2分遅れで出発し、アレッツォ到着は10分遅れになっていた。
050128ris イタリアの列車は定刻に走らそうという気はないのだろうか。当たり前の様に遅れている。まあ、日本ほど時間に正確な国はないかも知れないが…。
 今日は本当に寒かった。表示では1度だが体感温度は氷点下の気がする。ボローニャの辺りから雪が溶けていなかったが、アレッツォに着いてもやはり溶けておらず。午後にはまたしても降り始めた。本当に寒い。そんな中、アレッツォの街を歩き始めたが、多分、まだ、シェスタの習慣が残っているのだろう。2時3時は店も閉まっていて殆ど人を見かけなかった。そんな雰囲気なので、余計寒さを感じる。4時を回った頃から店も開き始め、それに従ってどこからともなく人が出て来た。
 今日の禁煙情報。グランデ広場上のバールに入ったが、全面禁煙だった。カメリエーレは寒い中、外に出て吸っていたので、法律は守られている様である。夜行ったトラットリアでも全面禁煙。普通の店でもVIETAO FUMAREの貼り紙をよくみかける様になった。禁煙の波が押し寄せていることには間違いないであろう。

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27 gennaio 2005

イタリア再訪

050127vanter01 イタリアは遠い。やはり遠い。大阪からヘルシンキまで10時間弱。ヨーロッパも10時間切ると楽だなあなんて思っていたら、ヘルシンキでミラノ便に乗り換えて、またまた2時間半。やっぱイタリアは遠い。ヘルシンキは雪だった。2時半でももう夕刻の様。懐かしいバンター空港。そうだった、こんなだったと思いながら、乗り継ぎゲートへ急ぐ。ヘルシンキからのミラノ便は日本の団体が3つ4つ入っていて占領されている。ユーロ圏内は最初に降りた都市で入国審査をするので、あとは国内線の様なもの。乗務員もフィンランド人のみとなり、機内放送もフィンランド語と英語しかない。その国内線を日本人が占領しているのである。日本で言えば、東京〜大阪便がアメリカ人にでも占領され、日本人が数人遠慮がちに乗って居る様なもんだ。これって何かおかしくないか?正にその状態であったのだ。右も左も日本人、折角、イタリアまで来たのに大阪弁が飛び交っている。ナポリ便やパレルモ便は団体は1つで、あとは個人旅行の日本人、バーリ便に至っては日本人はいなかった。やっぱりミラノなんだなあ。きっと、ミラノやフィレンツェには日本人が溢れ返っているのだろう。やっぱり日本人を避けるには南伊かな。今回も大都市は避けて地方都市へ行こうと決意を新たにした。
 さて、最近はユーロ圏内からでもマルペンサに入るみたいだ。ヘルシンキには30分早く着いても、ミラノ便は出発が10分遅れ、到着も18時40分となった。マルペンサから市内までバスで小1時間かかる。何で、リナーテに入らないんだ(-_-;)と思ってもみても仕方ない。今日のホテルは明日の移動を考えてチェントラーレ近くに取っているので、マルペンサエキスプレスではなくプルマンを使う。ここまで来ると、団体は専用バスに乗るので消えた。個人旅行の日本人が他に2人いるだけ。やっと日常を離れた気がした。「中央駅行きのバスはどこから出ていますか?」「5番出口?」「これは中央駅行き?切符売り場はどこ?」…片言のイタリア語だが、やっと口に出来た。バスの中ではイタリア人のネイティブなイタリア語が飛び交う。良いなあ。意味は解らなくても、イタリア語の響きはやっぱり良い。車窓にはイタリアの風景。1年半ぶりのイタリアに興奮を抑えられない。せめて1年に1回はイタリアを訪れたい。
050127centrare やがてバスは見慣れたポルタガリバルディ近くの墓地の前を通る。ここを過ぎると私の好きなホテルエグゼクティブがある筈だ。今回は貧乏旅行なので、4ツ星など利用出来ない。エグゼクティブを越えると、もう中央駅はすぐそこなので、降りる準備をする。バスは19時20分、いつもの様に中央駅脇に到着。明日のアレッツォ行きの切符を買ってからホテルに行こう。以前、20時に窓口が閉まったことがあった。以前は地上正面右に大きな切符売り場あり番号を取って順番待ちまでしていたと思ったが、バスを降りてすぐに小さな切符売り場があった。お客もあまり並んでいない。無事、明日の9時発のESの切符を購入出来た。今夜は中継地。目的地へはまだ4時間かかるのだ。正味イタリアにはたった5日しかないのに本当に勿体ない。バーリもナポリもパレルモも確かに到着は深夜近くであったが、翌日は朝から観光出来た。せめてフィレンツェくらいに入れていたら楽だったのだが。
 大阪〜ヘルシンキで2食、、ヘルシンキ〜ミラノで1食と続けざまの機内食は食べられなかったので、ホテルに着いてから小腹が空いた。レセプションのお兄ちゃん、お薦めのリストランテで久しぶりのイタリア料理を食べ、本場のエスプレッソを飲み、イタリアに来たことを実感した。そうそう、イタリアまさかの禁煙法はどの様な状況か見て来て欲しいと何人かの方に言われたが、今夜行ったリストランテは、まず、全面禁煙で守られていた。店の入り口にはデカデカと「全面禁煙」の貼り紙がしてあった。
 今、イタリアにいることに興奮しながら、旅の始まりを迎える。

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